カランの法術
債権やら契約やらは、所詮は虚構の世界。確固たる証拠がなければ事実を立証することはできません。そういった意味では、リスクと常に隣り合わせです。
昔、英国であったお話し。
その夜、一人の農夫が宿屋に泊まって、宿屋の亭主に100ポンドを預けた。
翌朝、農夫はこの100ポンドを受け取ろうとしたところ、この亭主は「お金を預かったことはない」という。
そこで、農夫は弁護士のカランに相談。
カランはしばらく思案し、
「訴えを起こすまでもない。もし、100ポンドを取り返したいなら、もう100ポンドだけ預ければいい。」という。
農夫は仰天し、「とんでもない!あの大盗人に1ペニーたりとも渡すものか!」と承知しなかった。
しかし、カランの弁舌の説き伏せられ、カランの指示どおり、友人に証人となってくれるよう頼み、再びその宿屋へ行くことにした。
農夫がその友人とともに宿屋に着くと。
亭主は、「また苦情でも言いに来たのか」と怪訝な顔をした。
しかし、農夫が100ポンドを並べ「自分は物覚えが悪く、昨日預けたというのは思い違いかもしれない。とにかく今度こそはこの100ポンドを預かって下さい。」と丁重に頼みごとをするのを見て、亭主は「世の中には、うつけ者がいるものだ」と心で笑いながら、その100ポンドを預かった。
農夫から、その様子を聞いたカラン。
農夫に「今度は亭主が一人でいるところを見計らって、こちらも一人で100ポンドを返してくれというべし。」と教える。
農夫は、その教えに従い、亭主のところに行ったところ、亭主とすれば、『後の100ポンド』には証人もあるため、拒んでも無駄と思ったのか、素直にこれを返した。
カランの法術 ▼
帰ってきた農夫が「でもこれでは元の木阿弥。預けたお金が返ってきただけ。何にも・・・」と言い終わらないうち・・・
カランは手を打ち、「さて今度こそは、その友人を連れて宿屋へ押しかけ、先ほどの100ポンドを受け取ろう、と交渉するのだ。それでも渡さない場合は、そのときこそその友人を証人として、裁判所に訴えるのだ。」と。
農夫は、ここに至って初めて、カランの意図を知る。
農夫はカランのもとを小躍りして出て行くと・・・
しばらくして満面の笑みを浮かべ、ポケットも重しげに200ポンドの金を携えて帰って行った。
(以上、「法窓夜話」より要約)
権利と立証 ▼
権利は、目には見えず、実際に手に取ることもできません。
あくまで人間の頭の中にだけ存在する概念にすぎません。
その権利について争いになった場合、最終的には裁判で決着をつけることになります。
仮にこの事件が裁判になったとして、農夫は、「預けた」ことを立証しなければ「預けた」ことにはならず、お金を返してもらうこともできません。
もっとも、農夫が「預けた」ことを立証すれば、今度は亭主が「預かっている」ことになり、逆に「返した」ことを立証しなければならなくなります。「返した」ことを立証できなければ、改めてお金を返さなくてはなりません。
亭主には「返した」ことの証拠がなく、もはや泣き寝入りするしかなかったのです。
亭主は証拠がないのをいいことに農夫を騙したのですが、証拠がないという同じ理由でカランの策にはまったのでした。
悪知恵に勝つためには、時として、そのうえをいく悪知恵が必要になることもあるようです。
【参考文献】
「法窓夜話」 穂積 陳重