大岡裁き
そこから少し距離を置いて。
江戸時代のコンプライアンスについて語ってみたいと思います。
江戸時代の法律は、戦国時代が終わり、江戸幕府の統治を確実なものにする必要があったため、非常に厳しかったのです。
江戸時代中期 ▼
当時、そのお濠の外から鴨に危害を加える者は、将軍家に弓を引くも同然厳罰に処す、という告知がありました。
「厳罰」とは首を刎ねる、という意味です。
少年は、ちょっと驚かせてやろうと、小石を投げてみると、運悪くそのうちの一羽に命中。
その鴨は命を落としてしまいます。
少年は「しまった!」と思って、すぐさま逃げようとするが、時すでに遅し!
たちまち、近くにいた役人に取り押さえられ、町奉行につきだされてしまいます。
大岡は「ただのイタズラで少年の首を刎ねるというのは、なんとも不憫」と考えます。
大岡は、すでに死んでいる鴨の羽の下に手を入れます。
「うーん、やはりまだ死んではおらぬ。このとおり温かい。早々に安針町で治療を受けさせよ。」
翌朝、安針町で購入した、大きさも毛並みも同じような鴨を持って、再び奉行所へ。
少年は、無罪放免となったそうです。
大岡裁き ▼
普通の役人であれば、少年が「法」を破った以上、命を奪われても仕方がないと考えるのでしょう。
これに対して、大岡は、ただのイタズラで命を奪うのはあまりに酷であり、何とか「法」の適用を回避できないか、その手段を考えます。
「法」の適用は、事実(小前提)を「法」(大前提)に当てはめることです。
江戸幕府の作った「法」を動かすことはたとえ大岡であっても不可能です。
そこで、大岡は「事実」を動かすことを思いつきます。
つまり、「死んだ鴨」を生きていることにしたのです。
ここで、読者は、大岡が「法」を欺いたような印象を受けるかもしれません。
しかし、江戸中期は、江戸初期に比べ、幕府による統治も安定していました。
そして、幕府の権威を脅かすような勢力はそれほど存在せず、比較的平穏な社会だったといえます。
実は、平穏な社会と厳しすぎる「法」との乖離が生じていたのでした。
そのため、当時の役人は、「みてみぬふり」を心得の一つにしていたともいわれています。
【参考文献】
「嘘の効用」 末廣厳太郎
「大岡裁きの法律学」 岸本雄次郎 日本評論社